五頭山麓に連なる低丘陵の内の一つの鳥屋ヶ峰丘陵の尾根西端付近にある。
現況は、大室集落にある日吉神社境内と杉林、宅地になっている。
主郭の境内と宅地との境界付近に土塁痕が認められ、更正図からその東側の宅地にも複郭が存在したようにも思う。
低い丘陵に、広い郭を配置し戦国時代の館城を想定できようか?
現在の神社本殿がある場所と、境内の東側に一段低く平坦地が認められ郭と思われる。
元和9年(1623)の安田組組之内検地帳に「たてのうち」の地名の記載がある。
城主は大室主計(大室源次郎)と伝えられ、天正11年(1583)の上杉景勝と新発田氏との合戦で大室氏が上杉軍の先陣役を勤めて活躍している。
大室氏の八幡での活躍
天正11年8月18日、新発田重家は手勢3000人を率いて上杉景勝軍と激突。
景勝は大室源次郎を先陣として真木山の林の中に伏せ、右方に小倉将監、安田能元、左方に島津左京亮、河田軍兵衛、前備に直江兼続、後陣に泉沢久秀で数時間に及ぶ戦闘でも決着が付かなかった。
