古城・遺跡資料

ご挨拶、頂いた資料には、根拠が無いものも含まれるかもしれませんが、そこは浪漫と言うことで御勘弁してください。明治時代に大体の資料は、カナ文字付き漢字に置き換えられるため翻訳違いが存在している事もあると思います。この時代は、戸籍謄本も変換されるなど日本には資料が無くなった物も多いハズですが、阿賀野市は比較的に保存が良い方と思います。
自己紹介としましては、決して歴史好きでは、ありませんでしたが、紡がれし因縁めいた物を感じて書き出すとします。
御先祖様は、坂爪家は、紀元150年代(前510)忍海王陵墓の伝説「温古の栞」
 安寧天皇の皇子忍海(おしみ)王の陵墓と称し奉ると伝ふる立石村の史談あり。越後の国へ御下向され崩御に臨みご遺言にて此処に葬り奉る。押見、押海、高橋、高階、坂爪の氏名は、このご陵墓に縁ある者ならん。(出雲崎編年史③)に在ります。
母方の庭山家は、山口村にて、叔母が、日吉神社の修繕に関して多額を収めたことから下条家に何らかの由縁が在ったのではないのでしょうか。

㈱たなべ印刷 故田辺氏からの提供資料です。年表に関しては、未完成でしたので修正変更いたしました。
他資料の8割は、田辺さん所有の物を使用しています。阿賀北新聞です。未発表の物も多く生前お聞きしていましたので、この際に掲載いたします。城趾や御館などは、ネット上に在ったのですが、消失しているため管理者不明ですので改めて残骸資料から、生成していきます。以降はボタンリンクを押下で進んでください。

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